ナガの短く映画を語りたい

改まった解説や考察をするつもりはありません。とにかく適当に映画語りしていきます。

【ワンシーン批評】『ぐるりのこと』:都市の喧騒の片隅で今日も誰かの崩壊と再生のドラマがある(ネタバレなし)

 

はじめに

 

 みなさんこんにちは。ナガです。

 

 今回が当ブログ「ナガの短く映画を語りたい」の3回目の投稿になります。現在ブログを開設してまもないということで自己紹介も兼ねて私のオールタイムベスト映画トップ10についての短評を書いております。今回はその第3弾となります。

 

 当ブログでは毎回1つの映画の中から1つのシーンをピックアップしてそのシーンについて短い批評を加えていきます。基本的にネタバレなしで書いていきますので、作品を見るかどうかの参考資料にしていただけたらと思います。

 

作品情報

 

題名 :ぐるりのこと。
監督 :橋口亮輔
脚本 :橋口亮輔
原作 :橋口亮輔
製作総指揮:渡辺栄
出演者:木村多江/リリー・フランキー
音楽 :Akeboshi
主題歌:Akeboshi「Peruna」
撮影 :上野彰吾
編集 :橋口亮輔
製作会社:「ぐるりのこと」プロデューサーズ
配給 :ビターズ・エンド
公開 :日本の旗 2008年6月7日
上映時間:140分
製作国:日本
言語 :日本語

 

今回のワンシーン

 

ありふれた崩壊と再生は今日も我々が生きる世界の片隅にて断続的にその円環を形成している。誰しもの人生に当たり前のように苦悩と挫折、葛藤は訪れる。そんな人生の暗闇から抜け出す事ができない者も大勢いるだろう。それでも暗闇から逃げなかった者には必ず光が見えるはずだ。大切なのは逃げないことだ。

 

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シーンの説明

 靴の修理屋で働くカナオ(リリー・フランキー)と小さな出版社に勤める妻の翔子(木村多江)のどこにでもいるようなごく平凡な夫婦。そんなごくありふれた夫婦のありふれた毎日。食卓を囲み、ビールを飲んでは、カレンダーに書き込まれた予定通りのセックスを営む。そんな夫婦にある悲劇が訪れます。少しずつ歯車が狂い始める2人。お互いが大切で大切で仕方がないからこそ、すれ違い離れていく2人の心。そんな2人の再生の物語が古びた病院の屋上から始まる。

 

批評:都市の喧騒の片隅で今日も誰かの崩壊と再生のドラマがある

 

埋め立てられた池の上を飛び続ける鳥の群れは

戻る場所のない空で戻ることのない空で何を 思っている?

ずっと見捨てないよ

奪い合うのに慣れ過ぎた世界に生きていても

Akeboshi Peruna より引用)

 

 崩壊と再生とはごくありふれたものと言うことができます。映画の中だけで起こることでは決してなく、我々の日常に突如として現れては暗闇をもたらし、そしてまた光をもたらします。しかし映画の中ではそれをドラマチックに演出し、パッケージングすることであたかも崩壊と再生の物語を特異なものに見せかけようとします。

 一方で橋口監督が描く崩壊と再生の物語はあまりにもありふれすぎています。どこにでもある誰もが経験する可能性があるまたは経験したことがある苦悩と葛藤、絶望が特異性を孕むことなく作品に溶け込んでいます。

 ありふれているものは凡庸で退屈で世俗的だと捉える方もいるでしょう。しかし、橋口監督の描く崩壊と再生はあまりにも平凡すぎるからこそ、我々の心をずたずたに引き裂きます。まだ眠い目をこすってコーヒーを啜る明け方のように、満員電車に揺られる憂鬱な帰路のように、1日にの疲れを洗い流してくれる少し集めのシャワーのようにありふれた姿で我々の前に突きつけられるのです。

 

 都市の喧騒の中、病院の屋上で何気ない会話をするカナオ(リリー・フランキー)と安田邦正(柄本明)。肺の病気にかかっているのにタバコがやめられない話、夫婦の営みがご無沙汰だという話、退院したら鳥取に行くという話・・・。よくある世間話の域を出ない会話が続く中で安田はそれまでと変わらないトーンでこう告げます。

 

「大事にできるもんがあるときは、大事にしとけよ。」

 

 文字に起こすとあたかも名言のようだが、このビル群の中の病院の屋上という背景と柄本明のあのトーンで再生するととてもそうは聞こえません。そのセリフに至るまでに成された世間話の中の1つだと言わんばかりなのです。

 しかし、その一言がカナオが翔子と向き合おうとする契機となります。ありふれた崩壊からの再生物語はありふれた会話の中に紛れた1つの言葉から始まったのです。橋口監督が我々に突きつけるパッケージングされていない粗野で普遍的な崩壊と再生は、刺激が強いですが癖になるような中毒性があります。

 

 ”埋め立てられた池の上を飛び続ける鳥の群れ”は大切なものを奪われても尚、そこに留まり続けます。それは奪われることに慣れてしまったという諦念ではありません。奪われることから逃げないことが大切だと分かっているからです。

 ”大事にできるもん”があるならば、いくら苦しみを伴うとしてもそこから逃げてはいけません。逃げずにそれを大事にし続ける者にだけ再生が訪れ、1つの円環を形成するのです。

 

商品リンク

・『ぐるりのこと』

 

ぐるりのこと。

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・『恋人たち』

 

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