ナガの短く映画を語りたい

改まった解説や考察をするつもりはありません。とにかく適当に映画語りしていきます。

【ワンシーン批評】『存在の耐えられない軽さ』:思わず落ちていきそうなほどに柔らかい鏡面(ネタバレなし)

 

はじめに

 

 みなさんこんにちは。ナガです。

 

 今回もですね私のオールタイムベスト映画トップ10の中から1つ作品を紹介したいと考えております。第5弾となる今回は『存在の耐えられない軽さ』という作品を紹介しようと考えております。

 

 本記事でもいつも通り映画の中からワンシーンをチョイスして、そのシーンに関する短評を加えていきます。私はこの『存在の耐えられない軽さ』という作品はラブストーリー最高傑作だと考えております。本記事を読んで、皆さんがこの作品を見るきっかけを作れれば、幸いです。

 

作品情報

 

邦題 :存在の耐えられない軽さ
原題 :The Unbearable Lightness of Being
監督 :フィリップ・カウフマン
脚本 :ジャン=クロード・カリエール/フィリップ・カウフマン
原作 :ミラン・クンデラ
製作 :ソウル・ゼインツ
製作総指揮:ベルティル・オルソン
出演者:ダニエル・デイ=ルイス/ジュリエット・ビノシュ
音楽 :レオシュ・ヤナーチェク
撮影 :スヴェン・ニクヴィスト
編集 :ウォルター・マーチ
配給 :オライオン・ピクチャーズ/松竹富士
公開 :アメリカ:1988年2月5日
   :日本  :1988年10月29日
上映時間:171分
製作国:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 :英語

 

 

今回のワンシーン

 

女は男の欲求に応え、自らの肢体を鏡の上に移動させる。そこに映し出されるのは男と女の欲望。床に置かれた鏡はその奥に孕んだ欲望の海に2人を沈めようとしている。シュールリアリズム的な柔らかさを有するその鏡面に体重をかければ、今にも沈み込んでしまいそうである。しかし鏡の中に映るその男の元に向かうには、この女はいささか”軽かった”のだ。男は存在の"重み"を探し求めている。

 

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批評:思わず落ちていきそうなほどに柔らかい鏡

 

 鏡というモチーフはその”映す”という特異性から映画の中でしばしば重要な役割を果たしています。ロシア映画の巨匠タルコフスキーやニュージャーマンシネマの名手ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらは鏡を映画の中で自由自在に操り、巧みに演出をしてみせます。スタンリー・キューブリック監督も映画『シャイニング』の中で鏡を2つの世界の入り口として用い、作品の中に2つのレイヤーを生み出すことに成功しています。

 そんな数多くの名作で登場してきた鏡というモチーフですが、私はこの『存在の耐えられない軽さ』という作品における鏡が一番印象に残っています。それは鏡に映し出されたレナ・オリン演じるサビーナの肢体があまりにも魅力的でかつ官能的だからという理由だけではありません。

 このシーンにおける鏡の使い方の巧さは鏡の柔らかさを演出している点なんですよね。もはやダリの書いた絵画における時計のようにその鏡面があまりの柔らかさに今にも歪曲してしまいそうなんです。そしてその鏡面はまるで水面のようでもあって、その奥にはトマシュの姿が映し出されています。

 このカットにおいてサビーナは実体と鏡に映る像が描かれていますが、一方のトマシュは鏡の中に映る像としてのみ存在しています。つまりこのシーンを見ていると、サビーナがトマシュの元に向かうためには、鏡の中へと身を沈めていかなければならないように見えるのです。

 しかし彼女は"軽い"のです。それは男性とすぐに関係を持ってしまうという意味での"軽さ"ではありません。トマシュにとって"軽い"存在なのです。

 

 その後トマシュはジュリエット・ビノシュ演じるテレーザと運命的な出会いを果たします。テレーザとトマシュそして鏡を交えたシーンではトマシュの立ち位置が変化しています。

 鏡の中の像としてのみ映し出されたテレーザ、そこに迫っていく実体のトマシュというようにトマシュが鏡の中の存在から鏡の外の存在へと変化しています。自分よりもずっと"深い"世界にいるテレーザにトマシュが惹かれたのは自明のことです。人は誰しも"重い"愛を渇望するのものです。

 愛を視覚的に重量化した作品こそが『存在の耐えられない軽さ』という作品であり、その重量を2人の間ですり合わせていくことの難しさに、恋愛の難しさを訴えかけました。

 

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