【ワンシーン批評】『ザ・マスター』:小さくてもいい。自分の人生のマスターとなれ!(ネタバレなし)
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
いよいよ当ブログ管理人のオールタイムベスト企画も佳境を迎えようとしています。トップ10の作品をこれまで紹介してきましたが、今回で9作品目です。
今回紹介する作品はポールトーマスアンダーソン監督の『ザ・マスター』という作品ですね。その年のアカデミー賞でも大きな話題となり、主演のホアキン・フェニックスは主演男優賞にもノミネートされました。
ポールトーマスアンダーソン監督の作品はどれも大好きなのですが、やはり『ザ・マスター』という作品は心の奥深くに突き刺さります。そして深く突き刺さったままいつまでもそこに留まり続けるような痛みと心地よさが滞留するのです。
いよいよ彼の最新作『ファントム・スレッド』が公開直前ということで作品を紹介するには最高のタイミングですね。
作品情報
邦題:ザ・マスター
原題:The Master
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
製作:ポール・トーマス・アンダーソン/ミーガン・エリソン/ダニエル・ルピ
ジョアン・セラー
製作総指揮:テッド・シッパー/アダム・ソムナー
出演者:ホアキン・フェニックス/フィリップ・シーモア・ホフマンエイミー・アダムス
音楽:ジョニー・グリーンウッド[1]
撮影:ミハイ・マライメア・Jr
編集:レスリー・ジョーンズ/ピーター・マクナルティ
製作会社:アナプルナ・フィルムズ
配給:ワインスタイン・カンパニー
ファントム・フィルム
公開:北米:2012年9月14日
日本:2013年3月22日
上映時間:143分
製作国:アメリカ合衆国
言語:英語
今回のワンシーン
泥酔して乗り込んだ豪華できらびやかな他人の船。他人に自分の人生の主導権を預けてしまえたならばどんなに楽だろうか。妄信的に他人に付き従い、自分の人生を外部化することで得られる安心感。しかし、それはもはや自分の人生ではない。小さくてもみすぼらしくてもいい。自分だけの人生を生きろとポールトーマスアンダーソン監督は我々に問うのだ。
批評:小さくてもいい。自分の人生のマスターとなれ!
人生とは一度きりで、それでいて自分のものでしかないですよね。しかし、自分の人生を自分の意志で生きるというのは、当たり前のことでありながらとても苦しいことです。なぜならその全てに自分が責任を負わなければならないからです。
だからこそそれが辛くなると人は自分の人生を、自分で生きることを放棄してしまいそうになります。思い詰めると、外部の存在に自分の人生を委譲し、マスターの地位を外部化してまうことすらあり得ます。
本作『ザ・マスター』の主人公フレディは、精神を病み、アルコールに依存し、自分の人生を見失ってしまっていました。そんな時に迷い込んだランカスターという男の船は豪華で大きく、きらびやかでした。
自分の人生を見失っていた彼はランカスターに傾倒し、彼の人生に自分の人生を投影するようになります。次第に洗脳され、彼は自分の人生のマスターを彼に譲ることで間接的に彼の人生を生きるのです。
本作においてまさに船というモチーフが人生を象徴していることは言うまでもないでしょう。フレディは彼に自分の人生のマスターの地位を委譲することで、ランカスターの船(ないし人生)の乗組員となったわけです。
そうして彼は自分の人生を生きることから解放され、仮初めの甘美に浸り、人生を謳歌するようになります。
しかし今回チョイスした本作のラストシーンでは、フレディは小さな部屋で女性と愛し合っています。窓に面し、壁の圧迫感が際立つこの小さな部屋は、まさにランカスターの船と対比的なモチーフです。つまりこの小さな部屋こそがフレディの人生と言うわけです。
誰かの輝く人生に自己を投影して受動的に生きるよりも、みすぼらしい人生を自分のものとして受け入れ、自分の意志で生きていくことの方が何倍も素晴らしいことであるとポールトーマスアンダーソン監督は我々に問いかけているようにも感じられます。
小さくても、みすぼらしくても。自分の人生のマスターであらねばならない。
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