【ワンシーン批評】『あやつり糸の世界』:多層世界映画の1つの原点がここにある(ネタバレなし)
はじめに
みなさんこんにちは。ナガです。
今回はですねいよいよ私のオールタイムベストトップ10企画の最終回となります。何を隠そう私が1番好きな映画のジャンルはSFです。そしてですね私が個人的にポストモダン思想やポストモダン文学に興味があるということも相まって、「多層世界モノ」のSFというのが自分の中で1番好きなジャンルになるんです。
キアヌ・リーブス主演の『マトリックス』なんかやクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』なんかも確かに多層世界を軸に据えた映画作品です。
しかし1973年にドイツでとある多層世界モノの映画が作られているんですよ。それがニュージャーマンシネマの巨匠ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが撮影した『あやつり糸の世界』という映画なんですね。この作品は映画界における多層世界モノの1つのオリジンでして、映像的にも後の映画に大きな影響を与えています。
今回はそんな私のオールタイムベストSF映画である『あやつり糸の世界』のワンシーンについて批評していこうと思います。
作品情報
原題:Welt am Draht
邦題:あやつり糸の世界
監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー
製作:ペーター・メルテスハイマー/アレクサンダー・ベーゼマン
原作:ダニエル・F・ガロイ脚本:フリッツ・ミューラー=シェルツ
撮影:ミヒャエル・バルハウス
美術:クルト・ラープ
衣装:ガブリエレ・ピロン
編集:マリー・アンネ・ゲアハルト
音楽:ゴットフリート・ヒュングスベルク
キャスト:クラウス・レービッチェフレッド/マーシャ・ラベン
今回のワンシーン
今生きる世界が全て偽物だったとしたら・・・。
誰もが1度は考えたことがあり、そして否定したことがある空想世界をまさに現実のものとした作品。プロットもさることながらファスビンダーの鏡やガラス、窓を使った演出が冴えわたり、4時間近い長尺もあっという間である。
批評:多層世界映画の1つの原点がここにある
お前が今「現実」だと思って生きている世界は「現実」の模倣でしかないのだ。お前は複製世界の中にプログラミングされた1つの数字のようなものなのだ。
ダニエル・F・ガロイが著した「模造世界」という小説を元に作られたこの映画はまさに作品の中に多層世界を孕んでいて、主人公は模造された世界の中に作られた存在でしかないと告げられるのです。
今回チョイスしたワンシーンは主人公が自分の存在の真相について告げられ、管理者から意識を奪われてしまうシーンです。このシーンで『あやつり糸の世界』という作品の第1部が完結して一旦エンドロールに入るんですよね。衝撃的すぎる事実にただ圧倒され、第2部が一体どんな展開になるのかと想像することも叶いません。
さらにこのシーンではファスビンダーらしい演出が輝いています。ガラス張りの机越しに意識を失った主人公を写し出したこのワンカットは、あたかも主人公の世界を客観的にかつモニター越しに見ている別世界の(または上位世界の)人類からの視点にも見えてきます。
加えて徐々にこの映像がぼやかしながら作品の第1部がフェードアウトしていくという演出が非常に冴えています。彼は自分が生きていた模造世界の中から自己の意識を喪失していきます。そして徐々に意識が薄れ、世界の輪郭が曖昧になっていきます。それに伴って映像そのものが輪郭を失いぼんやりとしていくんですね。
我々の今生きている世界を脱構築していき、疑いを投げかけていくと、もしかすると我々の存在は極めて不確実なものなのかもしれません。そんなポストモダニズム的な思想が『あやつり糸の世界』という世界には強く反映されています。
疑って、疑って、疑って。その先にある自分の真の実存とは一体何なのだろうか?
これはまさにあなた自身の実存を問う究極の多層世界SF作品なのです。
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